ハンドウォーマーというものも(^。^)

手話で遊んでくれる聴覚障害をお持ちのお子さんはいませんか?

手話を教えてくれる聴覚障害のお子さんを探してます。
小2の男子女子、小6女子と手話を楽しんでいます。隔週の日曜日、認知症の母と始めた日曜カフェを継続します。今日は12時から餃子を作り、おにぎりを握り、食べてから手話で遊びます。14時からは編み物の先生が来てくれます。一緒に遊びませんか?
拡散希望 三河島くらぶ

介護保険への無理解と情けない介護事業所の実態

尾久の区民の方から電話があり、デイサービスの事を聞いてくれと言うので、昨日訪問した。3か所利用していると言う。

①老健まちや
  トイレの手洗いの水がでない 
  ベッドの手すりが壊れてる 
  廊下が暖房なしで寒いが、ストーブを持ってきてくれと言うと仕返しをされそうで言えない。
②明生苑
  トイレの周りが尿漏れしているのか臭気が漂うのに、言っても修理しない 
  ふろ上がりにベッドに横たわった人を裸でタオルをかけた状態で運んでいる???
③健遊館
  トイレや木の台が壊れているのに修理しない
そして、職員は利用者から区に苦情を言ってくれと言うだけ。

そもそも、介護施設の対応がおかしいが、改善を要望するなり、事業所をかえるなり、これはケアマネージャーのお仕事。ケアマネージャーが仕事しないなら別の事業所にかえればいいのだが、「変えられない」と思いこんでいるご様子。その場で、母が世話になった大起エンゼルヘルプのおたけの郷の事業所に電話したら、今日にも担当ケアマネを決め、ご本人に電話してくれることになった。
介護保険課にも苦情を伝えたが、「見に行くかどうかわからない」とやる気のない様子・・・。今日は課長をつかまえて、相談します。
  実は、現役区議を紹介したのだが、誠意がないと怒っていた。本人が留守の時に来て夫と話しただけで、その後何の連絡もないという。それでは区議会議員の任務の放棄である。個別の訴えから、区の課題は何かを考え、改善へと方策をとるのが議員の仕事なのに・・・。

翌日課長に確認したところ、原則、苦情があればすべて確認しているとのことでした。よかった。。。

民族自決から当事者主義へ

(学生運動についての哲学つづき)
  学生時代に学んだことを一つ上げるとすれば、レーニンの言葉「民族自決主義」である。よその民族による解放はあり得ない。日本が植民地時代にアジアにいいことをしたのだから日本は正しかったという理屈は身びいきでしかなく、責任放棄なのだ。労働者階級の解放は労働者階級の決起でしかなし得ないし、障害者解放は障害者自身が担う。
スローガンは、「労働者階級の糾弾に応えて闘うぞ!」「障害者の糾弾に応えて闘うぞ!」
  今でいう、当事者主義。「自分の事は自分で決める」そして、自分がどういう立場にたっているかを常に考え抜くことが必要なのだ。もし、何か問題行動をおこした人がいる場合、なぜその人がそんなことをしたのか背景を考察し、その人自身が立ち直る方法を共に考え、側面から支援していく。もし、何か事を起こしたい人がいれば、その人の課題は何かを明らかにし、目標達成に向け側面から支援する。
  この学びを一生追求していきたい。

自分の人生を哲学しよう

2019年も最後の日、私にとって学生運動とは何だったのかを引き続き哲学する。
あの時代、私と同じようにそれまでの学生運動に疑問を感じ、大学を中退、あるいは卒業後、地域活動で社会変革を目指し、今も志を貫いている人たちが大勢いると思う。

 1975年の入学式では総長あいさつの後、赤ヘルの学生たちが演壇にならび、演説するのに驚いた。毎日授業に出ると、まず、クラス入りと称して赤ヘルの学生たちが一席話すのが日課だった。クラスの自治会役員を決めるのになかなかなり手がいなくて、時間ばかりがたつのが面倒で「私がやります」と立候補したのが事の始まり。2歳上の同級生といろんな会合に出るようになり、彼女がいろいろ物知りなのに感心しながら、赤ヘル運動の端っこに参加するようになった。
 住民が大学の研究室の毒物垂れ流しに抗議した事件を知り、愕然とし、それから水俣などの公害、スモンなどの薬害に興味をもち、反医学会総会に参加したり、全国薬学生ゼミナールや関西薬害問題研究会に出入りするようになった。同じクラスの薬学生に薬害を学ぼうと呼びかけたけれど、「薬剤師になってからでいい」と反応はなかったので、一人でチラシをまいたりして行動していた。
 真如堂脇の下宿から熊野寮に引っ越し、授業をさぼって自由を満喫しながら、勉強会などに参加していた。成人式の時は反薬害集会に参加し、造影剤の副作用の英語論文の報告をしていた。大阪環状線で「成人式なんてくだらん」と思いながら、晴れ着を眺めたことを覚えている。(つづく)