区議会の内緒話(1) 

 前回の選挙の時、リーフレットを完成させた後、鬱になり、立候補したくないと皆さんに説明したのですが、宣伝カーにも乗れない状態であっても「後継者がいないのだからやめるわけにはいかない」「本人がいなくても選挙はできる」といわれ、最初と最終日、宣伝カーに少し乗り、立会演説会では、少し話しただけで、あとはすべておまかせで32人中10番目で当選。ある意味、立候補以来、3位から10位くらいで、苦労せずに当選してきました。

 学生時代からの仲間たちを始め、地域の方々の支援で20年の議員生活。後継者にと家族を含めお願いし、地域団体の立ち上げを相談した5月18日、鬱に入りました。寛解して躁が5カ月続き、油断をしていたのだと思います。自分がこの状態では後継者を決められないと思っていたのですが、新人女性を出したいという声が上がり、私の案で皆さんが動き始めました。それで、勇気づけられ、9月19日躁に転換しました。

 新人議員には、議会でのいじめが一番心配だという話になり、いままで経験したことを文字にして、新人に理解してもらおうと思います。

<すぐキレる自分に要注意>

 上から目線で言い方が強い人は、本人は気付いていないことが多いように思います。私は能力、体力ともに劣等感があるので、強い言い方に敏感です。とはいえ、私は、マンションの幻聴があるらしい方から「あなたからパワハラを受けた、人の出入りがうるさい、夜中まで騒音を出すのはやめろ」と日曜カフェ(認知症患者と障がい者と子どもたちの居場所)を自宅で開催中、またマンション総会中、怒鳴られ、びっくり。何かの勘違いとしか思えませんが、何かあるようなのです。

 鬱や不眠とは無縁な人生を送ってきたのに、何故、病を得たか、「自分の人生を哲学し」、そのストレスを減らしてきました。そんな中で長年の友人と縁を切りました。実は3年ほど前、中学校の卒業式の最中、最前列の 椅子から崩れ落ち、救急車で運ばれたのです。常に私の指導者であった(学生運動時代の組織の名残)人の「ご飯を食べないから、卒倒するのよ」=なんと正しい、当たり前の一言を私はどうしても許せませんでした。食べなきゃと思っても食べられないのです。 できないから苦しいのです。責めないでよぉ・・・。彼女が立ち去った後、机をどんどん叩いて、大声で泣いて抗議したのです。(まるで子どもみたい・・・)

 もうひとつ、28年間ずっと恨みをもっていたこともあります。私は次男出産後2カ月で職場復帰しました。母乳で育てたかったので、職場近くの無認可保育園に預け、昼休みに授乳のために通い、10か月になったら断乳しようと思っていました。障がい者の介護ボランティアは産休をとっていましたが、彼女に夜のボランテイアに入れと指令され、もう少しで母乳100%だったの夢をじゃまされたのです。私は一番若かったので指導者には従わざるをえなかったのです。(私って性格悪い・・・)

許容範囲がせまくなって、人間関係を壊してしまいます。

<<自宅療養中!!>>

(今は躁なので、思いついたことの10%しかしない決意で、活動を抑えています=「躁のときの活動を抑え、鬱にならないようにする」。介護うつを感じて5年。双極性障害Ⅱ型と診断されてから2年。うつだからと処方された薬でなる場合が多いといわれています。現在、クスリなし治療中)

この病気になってからの私は、他人から回りくどく言われるといらつき、鬱になります。鬱になるのを避けるには、「苦手な人とは接しない」ことが大切です。

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