自民党に遠慮し続けた20年を振り返る

区議生活をふりかえると、つくづく自民党に遠慮し続けた20年だったと感慨深い。
尾久初空襲を区民に知ってもらう活動を始めたのは、当選後すぐだった。当時は尾久の自民党区議会議員が「聞いたことがない。嘘だ」というくらい、知られていなかった。
故森谷新元区議会議員が、当時の土木部長から、自民党議員が尾久初空襲の記念碑に関わることについて「瀬野にはやらせるな。俺がやる」と言ったと聞いたと話しておられた。
今、尾久初空襲の資料を整理しているが、尾久橋町会主催の尾久初空襲を忘れないコンサートの協賛団体には「荒川国際平和展」の名前はない。隠れて手伝い、お金を出してきた。そうでなければ、この荒川区では事が進まないのが現実である。
この、忖度の強制はいつまで続くのだろう・・・私はもう忖度する必要がなくなったので、まっとうに事を進めます。

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