京大労研の終焉についての考察:学生運動が目指したもの

京大労研の終焉について哲学している。
私は熊野寮にいた頃、マルクス、レーニン、毛沢東などの読書会に参加した事がある。おそらく、京大労研という党派の勉強会だったのだろう。若気の至りとはいえ、理解しないで行動したのだから無鉄砲この上ない。
この気質は今も続いていると認めざるを得ない。自覚はなかったが、私は京大労研の最も若い構成員だったのかもしれない。
薬学生として反薬害の運動に参加しながら、赤ヘルの友人たちの中で青春時代を過ごした。
そして、薬剤師の資格を取るという目標を反故にして上京し、町工場で働きながら、学生時代から通っていた三里塚に通い、障害者の介助など市民活動を荒川区で続けていた。
仲間達から「議員になったら」と言われて、まさか自分が‼️から、勧められたのもいい機会かもしれないと考え直して立候補し、区議会議員を20年。
今回のせの喜代を応援する会の分裂は、京大出身のリーダーが亡くなった事が大きな原因だと思う。彼がいたら、私に何も言わないで後継者探しをすることもなかっただろうし、私を信用できない&私の推薦した候補者を右翼だと決めつけて、元都議の橋立さんを擁立することもなかっただろう。上京して40年、当時の仲間たちは様々に暮らしている。

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