区政改革懇談会 05年5月19日総務区民委員会

 区民が主体的に区政に参加することを「区民参画」という。これからの地方自治を形つくるのは「区民参画」、おまかせ政治からの脱却であろうし、自ら学び、行動する区民が自らの手で区政をつくっていく=政策決定段階からの区民参画・・・・これが、わが荒川区で始まるのではないかと期待されるのが、「区政改革懇談会」(名前が硬すぎる)。区民や在勤・在学者から公募して(目標100人)、年齢、職業のバランス等を勘案して選考(外部委員をいれた選考委員会)するのだという。6月中に募集開始予定。
 昨年視察した、情報公開と市民参画の先進都市として知られる志木市は人口6万7千人。200人の公募市民(無償)による市民委員会が、各部会に分かれて市政を検証し、提言をしている。予算案を提示するぐらいの力を持つ。担当職員から一番初めはなかなか応募がなく苦労したとうかがった。
 区長・区職員のよびかけと協力が鍵を握る。荒川区基本構想の策定(04~05年度基本構想審議会を設置・06年第一回定例区議会で審議予定)にむけての提言につなげたいとの説明だった。奮闘を期待している。
 この他、国勢調査・グリーンパール那須の運営状況・町屋南地区商業施設(自転車置き場に議論集中!)・独立行政法人中小企業基盤整備機構との連携について、報告があった。
 

放置ごみのゆくえ その2

 区の社会体育課長から電話をいただいた。「区の管理下にあることを確認しましたので、ベンチなど、放置ごみの処理を手配します」とのこと。
 関係者の皆様、お世話様でした。よろしくお願いします。私たちも、周辺のごみひろいをこころがけます。
 「ごみひろいしようか」と思いたってから、紆余曲折。行政の窓口にあちこち電話をするのは結構大変だ。一箇所に電話すれば、いろいろ調べてくれて、回答するような仕組みがほしいものである。
 思い出せば、尾久の原愛好会では4年ほど前も、池に入って、ごみひろいをおこなった。あの時は、都立尾久の原公園事務所が「本当は区の管理地なんですが・・・」と言いつつ、ごみの処理を引き受けてくれたような記憶がある。今回、管理者がはっきりして、よかった。

放置ごみのゆくえ

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 これは都立尾久の原公園と区管理のグラウンドと都立保健大学グラウンドの三者にはさまれた、池(水溜り)である。
 私にとっては10年以上前、ザリガニ取りに息子達と通った懐かしい場所なのだが、ごみの捨て場所になっているのが本当に残念だ。
 尾久の原愛好会の自然観察会に参加したとき、ごみ拾いをしたいねという話になった。しかし、ベンチなどの大物は素人の手に余るし、このごみをどう処理するかも問題なので、問い合わせてみた。
 まず、公園管理事務所に聞いてみた。「あそこは区の管轄です」との答え。
区の公園緑地課に聞いてみた。「グラウンドを管理している社会体育課に聞いて下さい」
社会体育課に聞いてみた。「うちはグラウンドだけですよ。あの池の部分は都じゃないですか」
 この調子では管理者をみつけるのは大変だと思ったので、ごみ処理をお願いするかもしれない環境部長に問合せ先を探してくれるようお願いした。清掃リサイクル課長からの返答で、都が道路整備保全公社に管理を委託していると電話番号を教えてもらった。
 道路整備保全公社に連絡したら、荒川区担当の方が不在で、その後電話をいただいた。現場の様子をご存じなくて、見にいってくれた。
 結局、「ここは区の管理地です。区に管理を任せているのは、都立保健大学グラウンドのフェンスのまでです。都と区で取り交わした図面をみてもらえればわかります」」とのお話・・・・。
 さあ、どうなりますか・・・。これって、やっぱり、たらい回し・・・?

姫ウツギ

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姫ウツギが咲き始めた。つぼみもかわいいが、花もかわいい<ベランダ>

5月4日(1919年)

 五・四運動は、第一次世界大戦でのドイツの敗北に乗じて日本が得た山東半島の権益を中国に返還せよという要求がパリ平和会議(ベルサイユ)で否決されたことに憤慨して立ち上がった学生運動である。
 1915年、袁世凱政権が山東半島のドイツ権益譲渡など日本からの要求(いわゆる対華二十一ヶ条要求)を受諾した5月9日は中国では「国恥記念日」とされてきた。
 1919年5月4日、北京の天安門広場の学生デモを発端に、全国に大衆運動が広まった。中国政府もついに親日派を罷免、ベルサイユ条約の調印を拒否し、五四運動は中国での大衆抗日運動、ナショナリズム運動の始まりとして位置づけられている。
 日本の歴史教育は、近現代史がおろそかで、「よく知らない」ことが中国・韓国をはじめアジア諸国との友好を妨げている。隣人が「日本といえばこんなことがあった」と覚えていることを私も常識として、心に刻んでおきたい。